寝たいだけ寝る時があってもいい!(ぺこぱ風)(旧cakes連載記事)

世の中がどんどん「コロナ」一色になってきています。(現在2020年4月5日)

ここ1週間で東京の感染者がどんどん増え、1ヶ月稽古してきた夫の舞台は前半の中止が決まり、息子の学校も5月開始になり、私が自粛して後から参加しようとしていた統合医学協会の勉強会も全体が4月開講から5月開講に変更されました。

つい2週間前に公開したこのエッセイの内容すら「呑気」と感じてしまいます。

このエッセイが出る頃、東京は、日本はどうなっているのでしょうか。

甘い物依存や買い物依存についても書いていましたが、あれこそ「平和」だからこその内容でしたね。

だからと言って今全く甘い物を食べていないかと言うと、そんなことはないのですが・・・なんか、前よりおいしくないというか・・・(味覚臭覚はありますのでご心配なく)。

夜寝る前に毎日ニュースを観ますが日に日に悪化していく世界の状況や、コロナウイルスの画像が頭に(心に)残っているせいか、朝起きると胃がちょっと痛かったりします。

眠りが浅くなり、夜中の3時に目が覚めてスマホを見たり本を読んだりしてるといつの間にか朝になっていて、もう少しだけ寝とこうかなと思い、うとうとしてたら10時になっていたりします。

そしてまた午後や夕方に異常に眠くなってうっかり寝てしまうとまた夜眠れなくなるという悪循環。

幼い子供がいたり、介護が必要なお年寄りと同居しているとそうはいかないので贅沢な話なのですが、自分の「ダメさ加減」が良くわかる環境でもあります。

油断したらすぐ「夜型」になる。

朝、起きなきゃいけない状況が何もないと起きない。

目が覚めてもベッドでゴロゴロしてしまう。

眠くなったら寝ちゃう。

ヤバイです。

やることがないから・・・いやいや、あります!

家事・息子の世話・メディカルヨガやアロマの勉強・猫の世話・・・大した用事ではないけど。

癒しの存在

この時期しか出来ない大掛かりな片付けをしてもいいし、手間のかかるお料理に挑戦するなどしても良いのですが、

どうも何もやる気がしない。

大好きなネットショッピングですら、見ても買い物意欲が湧かないのです。

先週、「転んでもただでは起きない」自分を意気揚々と紹介したばかりなのに・・・。

志村けんさんが亡くなったり、夫がよく一緒にお仕事をしていた宮藤官九郎さんが感染したり、状況がどんどん悪化していっているのを肌で感じる距離になってきたせいでしょうか。

この感じ・・・初めてかも知れません。

今回も何を書いていいか分からなくなり、一度今の気持ちそのままを書いてみようと思いました。

「先の見えない不安」・・・ちょっと違うとは思いますが、上京し、一人暮らしを始めた頃の気持ちと似ています。

仕事がない時期、毎日いくら寝ても誰にも叱られず、それが嬉しくもなく。

何かを頑張らなければとは思うけど、何を頑張れば何にたどり着けるのか分からず、自分の力ではどうにもならないことにどう対峙していけば良いのか。

モデルの仕事は常に「受け身」で、選ぶのは「向こう側」の人々。

オーディションの結果や、依頼が来るのを「待つ」ことしかできません。

ウィルスも私が何かしたからと言って、いなくなってくれるわけではなく。

むしろ何もしてはいけない。

「家に居る」ことしか出来ない。

だから家で出来ることを頑張ろう!と、テレビでは体操やら遊びが紹介されていますが、どうも素直に

「いいね!それやろう!!」という気持ちにはなれず。

お気持ちだけで・・・と、変な受け止め方をしてしまいます。

ただ単に「家にいましょう」「stay home」と静かに伝えている人の言葉の方が私には響きました。

ニュースでも連日「非常事態です!」「social distance(社会的距離)を取りましょう!」と言われますがなんだか叱られているような気持ちになります。

空は青く、桜はきれいに咲いているのに一歩も外に出られない状況は、台風だから出ない時とはやはり全然気持ちが違うものです。

「出ない」と「出られない」では大きく違う。

親がこんなだから、中1と中2の狭間にいる一人息子も同様です。

学校からはメールなどで、「今出来ること(勉強)」をしよう」「生活リズムを整えましょう」と言われていますが、私よりも先にあっという間に「夜型」になり、毎朝なんとか8時までには、9時までには、と頑張って起こしていた私もこれがふた月目ともなると、一緒に10時まで寝ているというていたらくです。

起こしても勉強するわけじゃないし、録画していたお笑い番組を観たり、マインクラフト(パソコンゲーム)に興じたりするだけとわかっていて30分はかかる「起こす」作業をする労力が惜しくなってきました。(母親失格!?)

元々がっつり自由業の私は仕事の時以外は「好きな時間に寝て好きな時間に起きる」生活が長かったため、そして夫もそれに輪をかけて不規則な時間の職業のため、結婚後もその生活形態は大きくは変わらず・・・34歳で出産し、育児が必要不可欠になったことによって学生時代から本当に久しぶりに、「寝たい時に寝られない」「寝たいだけ寝られない」という生活に戻りました。

「睡眠」の重要性を改めて実感し、人は寝不足が続くとこんなにもストレスが溜まるんだと良くわかりました。

息子が幼稚園に行き始めた頃は週5でお弁当を作り毎朝支度をして送迎するという今までの自分からは想像もつかない生活が始まり、「やっていけるのだろうか」とかなり不安になりましたがなんとか3年間、ほぼ皆勤で行くことが出来ました。

小学校入学と同時にお弁当生活は終わりましたが、朝の送り出し時間は早くなりました。

中学に入るとまたお弁当になり、更に起床時間が早くなり、身体が大きくなった分、たたき起こしに手間がかかるようになり、朝からどっと疲れる生活が始まっていました。

そして自分が「毎日同じことをする」のが本当に苦手なのだと気付きました。

仕事で早朝に起きたりすることは全く苦ではない反面、「変わらない日常」をつらいと感じてしまう自分が居ました。

が、それがなんと「幸せ」で「大切」なことだったのか、今わかります。

繰り返しの日々のなか訪れる学校の学期の区切り、沢山ある行事、気が進まなかった保護者会、その「当たり前」の日常が親も子も「生活のメリハリ」となり、気持ちの整理に繋がり、次へのステップとなっていたのです。

今は「何もない」。

こんなこと、自分の学生時代にはあり得ませんでした。

(定期テストがなくなればいいのに)とは思いましたが、本当になくなるなんて!

(春休みがもっと長ければいいのに)とも思いましたが、本当にこんなに長くなるなんて!

こんな時期、後にも先にもないでしょう。

大人で、しかも結構ポジティブ思考な私ですら、ちょっと「落ちて」いるのです。

自分の意思ではなく、目に見えない大きな脅威によって与えられた「自由時間」はあまり嬉しくないものなのではないでしょうか。

多感な世代の子供達は一体どのように受け止めているのか。

ここで「ゲームするな」「勉強しろ」「規則正しく」と言われても、ただでさえ日々流れてくる感染情報や友達と会えないことなどで心身が「なんとなくしんどい」のに、より追い詰めるのではないかと私は思ってしまいます。

こんなことを言うとお叱りの言葉を頂きそうですが、(こんなありえへん状況なんやから、寝たいだけ寝て、好きなことしてもええんちゃう?)と、実は思っています。

さすがに息子には伝えていませんが。

難しい本を読んで感想文を書いたり、この期間に沢山英単語を覚えたりしている子供達もいるようで、すごいなぁと感心しますが、息子はただひたすら「外出禁止」を守り、たまに何か作っています。

「炬燵を背負ってゲームをするのにちょうど良い木の台」とか「折り紙の64面帯を1時間かけて作るのをタイムラプス(早送り)で撮影して25秒にまとめた動画」を作ってみたりしています。

それが本人のやりたいことなら、まあ、そんなんでもいいか、と私は思っています。

息子の作った寝転がりながら使えるパソコン台と折り紙の64面体

とにかく今は感染の収束を「待つ」ことしか出来ないのですから。

私もまた自分の「やる気」が出てきたタイミングで色々頑張るし、息子の「やる気」もそのうち出てくるのを信じて、待ちます。

まずは昼寝をがっつりし過ぎないように頑張ろう。(レベル低っ!)