車の運転免許を取得したのは、26歳の時でした。
高校卒業後、すぐに上京して仕事を始め、1年後には大学に行き、一人暮らしで仕事と学生を両立していた私は、教習所に通うタイミングを逃してしまったため、少し遅めの取得となりました。
今は(特に都心では)車の必要性が少なく、若者達(言い方!)は「車を持ちたい」と思う人が少なくなったように思いますが、私が10代20代だった時代「車を持つのはステイタス」でした。
あれ?最近聞かないかも、「ステイタス」。
これは「社会的地位や身分」という意味で、「ステータスシンボル」の略語。
つまり例えば、高級車や高級腕時計を持つことが「社会的身分の象徴」になる時代でした。
バブルの香りがしますねー。
ちなみに今「ステータス」というと、ゲームやITの分野で「状態」という意味になるらしく、若者達はそちらをイメージしてしまうかもですね。
という訳で、私も東京で頑張って働いてきたからにはいつか自分の車を持ちたいと、かっこいい外車でスタジオやオーディションに颯爽と現れる先輩モデルさん達に憧れたものでした。
教習所に行くと当時は「運転免許はとりあえず18歳になったら取りに行く」的な時代でしたので26歳の私は結構年上の方で・・・学生時代から数年経過していたこともあり、学科でじっと座って授業を受けるのが何より辛かったのを覚えています。
実技は、教習所内ではまあまあでしたが、外の道に出た途端に「恐怖」の連続でした。
そもそも通っていた教習所が恵比寿にあったので、路上教習がいきなり渋谷区!交通量は多いは、路駐だらけ(今では考えられないですが)だは、五差路とか、どの信号が自分が今見るべき信号かわからないは・・・もういちいちプチパニックでした。
今思うと、あんなに一生懸命練習したギリギリの縦列駐車なんて、いつどこで使うのでしょうか。
それよりもグルグル回る地下駐車場への道やら、巨大店舗の混み混み駐車場で空きスペースを見つける技を教えといて欲しかった!
高速教習が第三京浜だった私は首都高には今だに乗れません。
実際車で街に出て「習ってなーい!」と思った瞬間のなんと多かったことか。
そんなこんなでなんとか夢の免許証を取得した私は、既に結婚していたので夫にどんな車を買うのが良いか相談しました。
元々車好きの夫は張り切って色々提案してくれましたが、私はその中で「プジョー306カブリオレ」を選びました。
「カブリオレって何?」とか言いながら・・・ちなみに英語で言うと「オープンカー」です。(それやったらわかる。)
東京で車をオープンにして走る意味が全くわからなかった私ですが、その布製の屋根が可愛い!と思い、ピニンファリーナという有名デザイナーがつくったとか言う夫の説明に、(ふーん、それはかっこいいに違いない。知らんけど。)
と思いながら選びました。
(調子に乗ってたー!免許取り立てやのにー!アホちゃうか!)と今なら思いますが、当時は本当に調子に乗っててアホやったから、仕方がありません。「若気の至り」と言うには微妙な年齢ですが。
調子に乗ってた頃 細眉時代
ちなみに当時(これも調子に乗っていたと思いますが)恵比寿のマンションに住んでいたので、近くの駐車場を探したら、なんと立体なのに月極6万!でした。「住めるわ!」と何人の友人達から言われたことか。
そんなこんなで無事に免許と車を取得した私は、「乗り出しが常に恵比寿」という危険な状況のなか、恐る恐る運転を始めました。
教習所では子供の飛び出し事故や、危険運転の映像をめちゃくちゃ見せられていたので、とにかくドキドキしながら運転していました。
そしてすぐに自分の浅はかさに気付きました。
カブリオレは、屋根を開けるためなのかなんなのかわかりませんが(乗る資格なし)、フロントガラス両サイドの支柱が太めで、視界が悪い!つまり見えにくい!のです。
しかもおしゃれデザインのせいで、斜め前方の距離感も測りづらく、すぐに(ぶつかりそう!)と思ってしまいます。
(やっぱり棒立てといたらよかったやん!)と、夫にカッコ悪くなると言われ、やめといたオプションが恋しくなります。
更に、プジョー車の特徴として、ハンドルがめちゃ重ステなのです。
ろくに試乗もせずに(怖いから)選んだ私がバカでした。
(教習車と全然ちゃうやん!)となりました。
プジョー306カブリオレ どこで撮ったんやろ
ただでさえ、運転が下手なのに、この悪条件!!(自分で招いたのですが)
そして2年後、夫の危惧した通り、その時は来ました。
特に運転に自信がついてきた訳でも無く、未だビクビクしながらハンドルを握っていたのですが、恵比寿のT字路で、私が側道から本線に右折で入ろうとしていて、なかなか車が途切れず、出しあぐねていたら、
右からの車が、「どうぞ」という感じで道を譲ってくださったので(優しい!これは早く出さなきゃ!)と頭を下げてその向こうの車線に出ようと慌てて右にハンドルを切りながら発進したら左側から車が来ていて、ガッシャーン!!とぶつかってしまったのです。
その時の左から来た車に乗っていた神経質そうなメガネのサラリーマンの驚いた顔は今でも鮮明に覚えています。
危険を感じた時、物事がスローモーションで見えるとよく聞きますが、本当にそうでした。
これは大学の認知心理学の分野で研究されている現象ですが、実際の実験でも恐怖を感じた時に人間の情報処理能力が上がることが確認されているそうです。
私も人生でたった一度、この時だけはその現象を体感しました。
(死んでない)と意識した私は、(ここで私の車が停まっていたらさっき譲ってくれた優しい人に申し訳ない、早く移動させなきゃ)と、変な思考回路になり、なんとかリアを間違えずにバックに入れてゆるゆると車を元来た路地の方へ下げ、出来るだけ邪魔にならなさそうな位置に駐車させました。
すると、ぶつかった相手側の車も私の近くへ車を停めにきてくれました。
2人とも怪我はなかったのですが私の車のバンパーは見事にへし折れ、前のミラーも外れかけており、相手の車も程度こそ軽いものの明らかに「事故った後」の様相を呈していました。
とにかく相手に怪我がなかったことにホッとして、後はひたすら平謝り。
「すみません。運転が下手で。譲ってくれた車がいたので慌てて出ちゃって、よく見てませんでした。前方不注意です。私が悪いんです。ごめんなさい。」
こんな調子です。その方は営業車だったのか、仕事へ行く途中だったのか、ずっと「参ったなあ。困ったなあ。」と言っていました。
後からこの時のことを、人に話すと、「事故った時はまず謝らないのが鉄則」なんていう意見もありましたが、
自分に自信のない私には保険の割合を考える余裕なんて全くありませんでした。
ますます運転に自信をなくした私ですが、せっかく免許を取って、車もあるのにこのまま乗らなくなるのはもったいないと、必要最小限ではありますがその後も時々は運転していました。
2回目の事故は本当に不運としか言いようがなかったのですが、うちに遊びに来ていた夫の劇団の後輩を家に送ってあげると(一丁前に!)言って、青年2人を乗せて運転していた時のことです。
まあまあな交通量のなか、法定速度内で普通に走行していたら、フロントガラス越しに三角の赤い物体が見えた後、バーン!という音がしたので、「今、なんかぶつかったよね!?」と助手席の後輩に聞いたら、「はい、工事のパイロンっぽかったですよ。」と言う返事が。
パイロンには重しが必須
「えーーーーー!どうしようか。取り敢えず流れに従ってそのまま来てもうたけど、どっかに停めて確認した方がいいよね!?」
「はい、そうですね!」
「うわー、こんな車線多いとこで端に行くのとか一番苦手やのに〜。」
などと言いながら、なんとか路肩へ駐車。
2回目だからか、一人じゃないからか、意外と落ち着いている私。(慣れていいことではないけど)
「とにかく急ブレーキを踏まなくてよかった!!」
と、車体を確認すると、バンパーに縦にヒビが入っています。
「これは・・・どうしたらええんやろ。」
「とにかく警察ですね。あそこに交番あるから行きましょか。」
と運転が絶対に私より上手そうな頼もしい青年。眠そうな一人を車に残し、頼もしい方と二人で交番へ。
事情を説明すると、風でパイロンが飛んできた場合はそのパイロンを置いている工事現場を受け持つ会社の責任で、それは場所から特定出来るので、詳しく教えてくださいということでした。
後日、その責任者と現場検証して、車の状態を見てもらい、修理代は保証してもらいました。
「外車かぁ・・・。」とがっかりされたのを覚えています。
後輩達にはたくさん時間をとらせてしまって、(電車で帰った方がよっぽど早かったやん)と思わせてしまいましたが、
急ブレーキを踏んで後続車にぶつかられたりして怪我をさせていた可能性もあるので、無傷で帰せたことに本当に胸を撫で下ろしました。
このように、自分がどんなに気をつけて安全運転していても、思わぬアクシデントから事故に繋がることがあるんだと身を持って体験しました。
その数年後には駅から近い場所へ引っ越したこともあり、あまり運転もしなくなっていましたが、34歳で出産し、子供が幼児期にはやはり日常の買い物や習い事の送迎などに「車があると便利」なので、また少しずつ近場を運転するようになってきました。
今は10年くらい、ずっとプリウスです。燃費もいいし、視界も広いし、ハンドル軽いし、最高です。
やっぱり日本車がええよ。