先日、家族三人で車に乗って出かけていた時の事です。
夫が運転し、私が助手席、息子(中1)は、後ろに座っていました。そのうち
「あ、洗剤ないわ」と私。
「え?」と夫。
「洗濯の洗剤。買わな」。
「え?めっちゃあったで」。
「いや、あれは全部柔軟剤」。
「えー、なんで柔軟剤ばっかりそんなにあるん?」
「柔軟剤は、色々香りとか、消臭とか、使い分けるからいっぱいあるねん」。
「それにしても10 本くらいあったで!」
「そんなに無いし! 液体のんと後から入れる粒々のんは効果が違うから、それは数えんといてや」。
「いや、液体だけで10 本はある」。
「絶対ないし!3本くらいや」。
「それはないな、家帰って数えてもいい」。
「いいよ、数えよか? 詰め替え用はおんなじやから数えんといてや」。
と、皆さんにお読み頂くのも申し訳ないくらいのくだらないやりとりがなぜか白熱してきた時、後ろから息子が、
「ママ、くもが、、、」と。
私が先程までと同じ勢いで、
「え? 蜘蛛? 嘘やん! 中? 外?」と聞くと、息子が小さな声で
「いや、雲、空の雲が、、、」
「なんや、虫かと思った!雲がどうした?」
「きれい、、、」
「え?」
車窓から見上げると、台風一過の青空に広がる美しい鱗雲。
「ああ、、、ほんまやねえ」。
思わず写真を撮り、今までの夫との会話の不毛さに気付かされる私。
夫も、「ほんまやなあ」と。
なんかごめん。息子よ。
関西出身の両親から産まれても、君の実家は東京。
関西弁の応酬がきっと喧嘩の前触れのように聞こえて遮ってくれたのね。
父母、反省、、、。
なにをしょうもない、どうでもええ事でおっきい声出してたんやろ、私ら。
空を見よう、と思いました。
このように、私と息子のテンションの違いを感じる出来事はたくさんあります。
夏休みに実家に帰った時のことです。
元々あまり口数の多い方ではない息子、普段から、父親譲りの声変わりしていない割には低い声でボソボソ喋ります。
現在中学1 年生の思春期にさしかかり、更に声を発さなくなりました。
実家で母や姉は、久しぶりに会った身内が必ず子供に聞く質問をしてきます。
「学校、どお?」
「、、、、、、」(無言で首をかしげる)
「楽しい?」
「、、、、、、」(しばらくしてゆっくり頷く)
こんな具合なので、たまらず私が、
「もー、お年頃やから益々喋らんようになって、、、」。
と前置きしてから、
「うーん、やっと慣れてきたかな」。
「せやなぁ、新しい友達も出来てきたし」。
などと、ついつい口を挟んでしまいます。
その様子を見かねた姉から
「あんたが横からやいやい言うから、喋られへんようになってるだけちゃう? 吉兆か!(わかる人だけわかってください)」と、突っ込まれました。
「だって待ってられへんねんもん!」
「ちょっと考えてから何か言おうとしてるのに、その前にあんたが全部喋ってまうから、もう喋ることなくなってるやん」。
「嘘やん! 待ってたら喋るん?」
「知らんけど」。
出た! 関西人特有の、めっちゃもっともらしく説明してから最後に付ける、スーパーワード、“知らんけど”。
こんな事もありました。
学校の宿題のため、上野の国立科学博物館へ行かねばならなくなった息子。
友人3 人と待ち合わせをしたところ、銀座線で来る子と、JRで来る子では、出口が違うので、「公園口」で待ち合わせをする事になりました。
心配性の私は、銀座線で行く息子に、銀座線7番出口から公園口までの道をプリントアウトした地図を持たせました。
ところが、帰宅後、聞いてみると、
「全然会えなくて、会うまでにすごく時間がかかった」と。
理由その1
ママの地図には自分のいる場所が載っていなかった。
カーナビや、私の使うGoogle Map で、自分の位置が動いていく地図を見慣れている息子は、昭和感覚の母から紙の地図を渡されても見方がわからなかったと(息子はまだキッズ携帯)。
理由その2
「7番出口じゃなくて、ブニングチに出ちゃった」と息子。
私、しばらく考えて、「あ、シノバズグチね。不忍口って書いてそう読むのよ」
確かに私も上京したての頃は読めなかったわ。東京生まれでも読めないものは読めないわね。
不忍口が7番出口だったかどうかは分からないけれど、説明不足でごめんね、となりました。
言葉やノリの違いも、ジェネレーションギャップもあり、色々すまない、息子よ。
でもなんかまだまだ幼くて、純粋で可愛いなあ、とも思いました(親バカですみません)。
私にもこんな時代があったかしらと振り返ってみると、そうそう、私も恥ずかしがり屋で、何かのきっかけで、すぐ赤面していたっけ、と、思い出しました。
あの頃悩んだ赤面症は、今ではちょっと焦っただけで大量発汗という、更年期の症状に変わっています(笑)。