誰かの何かであっても(旧cakes連載記事)

はじめまして。

私、現在47歳、中1男子母、役者の妻であり、一応(と言うと使っていただいているクライアント様に叱られそうですが、、、)現役モデル、ヨガセラピスト(インストラクター)をしている者です。

興味を持って頂き、ありがとうございます。

最近なんだか、人生の第何波目かの波が突然やって来て、自分でも驚く程のシフトチェンジを行い、その流れに身を委ねてみようと思っております。

具体的には、18歳から29年間(長っ!)続けて来たスチールモデルの枠を超えたテレビ出演のお仕事をありがたくお受けしたり、このように文章を書く事に挑戦させて頂いたり、、、。

私の経歴はほんの少し複雑で、書き始めると皆様を疲れさせてしまう位長くなってしまいますので、追々お話しさせていただくとして(ご興味があれば、ですが)今回はなぜ今、この年齢で新しい事を始めたくなったのかについて、書かせて頂きますね。

『人生100年時代』が、とてもリアルに感じられる今日この頃、、、。

「そんな訳ないやん!」(すみません、大阪出身なので)から、「え、マジで100歳まで生きてまうかも知れんし!」と、思うようになって来ました。

となると、現在47歳の私は下手したら(贅沢な言い方ですが)あと50年以上生きる!ということは、、、今まで生きてきた年数より長い人生が待ち受けている、、、。

なんかちょっと怖くなる。

なぜ怖いと感じるのでしょうか。それは今までの半世紀の内容と、これからの半世紀の内容(想像)、、、どう考えても前者の方が後者よりも“濃ゆい!!”に違いないと思ってしまうからかなと。

人にはよりますが女性の人生を省みた時、赤ちゃん→幼児→小学生→中学生→高校生→大学生→就職→結婚→出産→育児、、、がほぼ人生前半にあるとして、後半には、何があると予想されるのか、、、ぼんやり浮かんでくるのは「余生」という単語。。。

「いやいやいやいや、ちょっとちょっと、まだめっちゃ元気やし、余生て、、、。」となります。

私は今まで、自分で言うのも何ですが、とても真面目に生きてきました。

モデルなんて一見華やかそうに見えているかも知れませんが、私の場合は出来る限り経済的に早く自立、自活が可能な職業として選びました。

24歳で結婚し、34歳で出産し、結婚2年目の1回目の引越しの時に飼ったビーグル犬は18年で天寿を全うし、2年前に亡くなりました。息子は中学1年生になり、役者である夫の仕事も有難いことにほぼ途切れる事なく続いております。

感謝して、余生を楽しむ、、、のか、、、?

林真理子さんのエッセイ集の帯に、「40代よ、後ろめたいことをしなさい。」と言う文字を見た時は、なんだか衝撃を受けました。そしてじわじわくる、ワクワク感がありました。

私は私だけど、子供時代は「〇〇さん家の娘さん」。

上京し、自立して、暫くは、誰かの何かではない、フリーな時代がありましたがその頃は自活するのに一生懸命で、その自由さには気付いていなかったような、考え出すと「自分のアイデンティティーとはなんぞや」などと悩んでしまいそうで、むしろ考えないようにしていたような気がします。

そして結婚したら再び「〇〇さんの妻」、子供を産んだら「〇〇ちゃんのママ」

というレッテルをがっつり貼られ、、、いや、貼られることで自分の存在意義がはっきりし、安心していたのかも知れません。

その環境のなかでいつしか、自分よりも家族の幸せを優先し、妻だから、母だから、ついでに言うと、もうこの歳だから、と遠慮し、諦める事が増えてきたように思います。その方がわかりやすいし楽だから、、、。

でもでも、人生は長い!まだまだ先がある!!

妻であっても、母であっても、歳であっても、目の前に楽しそうな事がふと現れたら(見付けちゃったら)、臆せず、挑んでいっても良いのではないでしょうか。って言うか、今までもそうしてくればよかったのでは?、、、いや、過去は変えられない、振り返らずに前を向いて、進んでみようと思います。

それでもし転んだとしても、人生経験積んでる分、色んな起き上がり方知っているので……。