プライドと楽チンのせめぎ合い(旧cakes連載記事)

海外旅行の話をする時、自分の英語能力について、大まかに分けて「話せる」「話せない」「話せないけど大丈夫」の3種類に分かれます。(と、私は思っています。)

この「話せないけど大丈夫」という人と海外に行くと結構楽しく過ごせたりします。

もちろん「話せる」人と一緒だと全てがスムーズに進んでこの上なく安心なのですが、自分は「お客さん」状態になってしまって、「英語で話す努力」を全くしなくなります。

「話せないけど大丈夫」な人は基本コミュニケーション能力が高く、ジェスチャーや表情を加えたりして、もどかしいながらも「楽しく」会話を展開していきます。

そうなると、自分もなんとか手助けしなければと頑張って参加します。

それがまた楽しかったりします。

勇気がなくて全然話せなかった若かりし頃のハワイ旅行(細眉時代)

私はというと、英会話には「真面目に勉強してきたけど話せない」コンプレックスがあり、大人になってからも子供と一緒に英語リトミックやら、大手英会話スクールのパーソナルクラスやらへ何度か習いに行きました。

過去形なのは今は、やっていないからです。そうです、全部やめちゃいました。

英会話なんて「話せば話す程上達するに決まっている」ので継続した方がいいのはわかっていたのですが、「もういい」と諦めてしまったのです。

自分の上達に限界を感じたのがいちばんの理由ですが、今から「ビジネス英語」まで突き詰める必要も興味もなく、「ある程度」の単語を知っていれば、私の今後の人生で使うであろう「旅行英語」は「大丈夫」かなと、思ってしまいました。

そう、あとは「気持ち」と「勇気」があれば海外旅行は楽しめてしまうのではないでしょうか。

過去完了形と過去形の違いを使い分けられなくても、気持ちがあれば通じるのです。

なんなら、全部現在形でも「気持ち」と「勇気」があれば通じるのです!

そんなこと言い出したら元も子もない感じになってしまいますが、「ある程度」までいくのもなかなか大変なので、習って来たことは無駄ではなかったと思います。(思いたいです。)

私見ではありますが、「学校の勉強をきちんとしてきた昔の人」ほど、「気持ち」はあるけど「勇気」が出せません。

邪魔をするのは「文法が間違っているのではないか」という心配です。

「昔」(昭和時代)の英語教育は基本的に筆記から入っていくので「文法」や「単語の綴り」を重要視していました。

それが間違っていると、いくら伝えたい「内容」が合っていても「バツ」をもらうのが当たり前でした。

だから「文法が間違っている英語を話すのは恥ずかしい」という頭になって「話せるのに話さない」つまりは「話せない」人になってしまうのです。

こんな感じで習っていました

うちは夫が典型的なこのタイプ。

このタイプは高学歴の男性(昭和世代)に多いように思います。

私も初めはそうでしたがだんだん年齢を重ねるごとに、「大丈夫」になってきました。

何が大丈夫かというと、「間違っていると思われても大丈夫」になってきたのです。

「伝えたい」「相手とコミュニケーションをとりたい」という「気持ち」が「正しい英語を使う語学力のある人間だと思われたい」という「プライド」を超えてきた時、「勇気」が出るのです。

この「勇気」ですが、年齢を重ねる毎に、わかりやすく言うと、「おばちゃんになると」どんどん出てきます。

「おじちゃん」は逆に頑なになっていったりするので、女性特有の特徴かも知れません。

よく「おばちゃんになると楽」と言われますが、それを日々実感している今日この頃。

一体何歳になると「おばちゃん」なのかは非常に曖昧ですが、それを自分で「認めた」時が楽チンなおばちゃんの世界への第一歩ではないでしょうか。

一生認めなければ、その人は一生おばちゃんにはならないのです。(なれないのです。)

かつては私もそのタイプ(一生おばちゃんになれない人)だと思っていました。

息子が幼稚園くらいの時、公園で遊ばせていると、私と同い年くらいのご近所ママ友がやって来て、ボール遊びをしている息子に、

「おばちゃんにそのボールちょうだい!」と言っているのを聞いて、「え?」とすごい違和感を覚えたことがあります。

そのママさんはとても若々しく綺麗で全然「おばちゃん」ぽくないからです。

(ん?ということは私もこの人のお子さんにとってはおばちゃんということか)

まあ、アラフォーで一児の母なのですから、至極妥当ではありますが、その頃の私は自分のことを自分で「おばちゃん」と言う気はさらさらなかったのです。

まだ認めていなかったのですね。何故でしょうか。

「私はおばちゃんと呼ばれる人ではない」という「プライド」が邪魔をしていたのでしょうか?!

「プライド」って何でしょう。

「プライドを守る」という事はとても大切な一面もありますが、そのなかには「自分を良く見せたい」という思いが少なからずあるのではないでしょうか。

私も若い頃はどちらかといえば良くも悪くも多分周りから見ると「プライドが高い」人間だったように思います。

が、だんだんそれを保つのがしんどくなって来ました。

そして、自分を綺麗な殻で包み込んでいる時より「ぶっちゃけ」出てきた方が「楽」ということに気が付いてきたのです。やっと最近。

あとは単純に年齢を重ねて、「人前で、思いのままに行動する事が恥ずかしい」時期を乗り越えてしまったように思います。いつの間にか。

例えば電車で席を譲ることすら、若い頃は自意識過剰のため、そうすることを人に見られるのが恥ずかしく、だいぶ「勇気」がいりましたが、今は向かいの席に後ろ向きに立っているお年寄りにまで声をかけて「どうぞ」が出来ます。

その御老人の前に座っている若者はヘッドホンをしてスマホを持ち、更に寝たふりをしていたりします。

そんな時、少し前までは(何やねん、代わってあげたらいいのに)とイラッとしていましたが、今は(わかるわかる、代わりたい気持ちはあるけど声をかける勇気がないから動けずにいるんやね)と理解出来ます。

だいぶ前の話ですが私が20代前半の頃、大阪の実家からおばあちゃんが上京して来てどこかへ観光に連れて行った帰りの電車の中で、優先席に3人の学ラン男子学生(わりとデカめの高校生)がドカンと脚を広げて座っていた時がありました。

おばあちゃんは健康ではありましたが、電車が揺れるたびによろけてフラフラします。

ジロっと学生達を見詰める私。

今ならすぐに言いますがその時はまだ私も若かったので視線で訴える事しかできません。

2駅くらいそのままやり過ごした時、電車が大きく揺れておばあちゃんが転びそうになってしまいました。

それでもワイワイと会話を楽しんでいる学生達。

さすがに我慢できなくなった私は、とうとう勇気を出して、

「すみませんがおばあちゃんを座らせてあげてもらえませんか?」と学生達に言いました。

もしもこの子達が超悪くて、

「うるせーな。」などど反撃されたらどうしようかと構えてはいたのですが、その子達はびっくりするくらいのスピードで、

「あ!!すみませんでした!どうぞどうぞ!!」と、私の言葉が終わるか終わらないかのうちに、3人とも(!?)立ち上がって席を譲ってくれました!

まるでたった今おばあちゃんの存在に気が付いたかのように。

(こんなに目の前でふらついてたのに、気付かへん訳ないやん!)とその時は思いましたが、今思えば、

「席を譲りたい気持ちはあるけど、友達も居るしこちらから立ち上がるのは恥ずかしいから、気が付いていないふりをしておこう」という心理だったのかなと推測できます。

だから私から言われてむしろ「これでやっと代われる!」というような心境だったのではないかなと。

今はそんな学生達を可愛いとすら思えます(完全に母目線)が、当時は(何やねん!代わる気あるんやったら始めから代わってよ!しかも3人分もいらんし!ダチョウ倶楽部か!)とプリプリしていました。

私も若かったので。

あと、これも「プライド」が邪魔をしていたのかはよくわかりませんが、「人にものを聞く」事が、平気になりました。

むしろ「聞きたい」。やたら「聞く」ようになりました。

「問合せ」もすぐします。

例えばアップルサポートセンターやdocomoへ、わからない事があればすぐ電話して聞いてみます。

すると本当に丁寧に親切に教えていただけて、大概のことは解決します。

が、これも夫は苦手です。

まず、コンピューターに対して苦手意識があるので、「どう聞いて良いかわからない」と言います。

「何がわからないかを分かってないのが恥ずかしい」のでしょうか。

ここでも邪魔してくるささやかな「プライド」。

確かに私も経験があります。

私の質問に対してやたらカタカナを言われても、(プロバイダ・モデム・IPアドレスなど)まずそれが何かが分かっている前提で話し出すのはやめて頂きたい、と思います。

そして「それは何ですか?」と聞いた時の相手から伝わってくる「そこからかーい!?」という空気感。

わからないから聞いているんです

(すみません、何も分かってないのにコンピューターを触ってて。)とやたら謝ってしまうこちら側の人達。

だけどだけど、相手は「サポートセンター」なのですよ。

サポートがお仕事なのです!そこでユーザーを馬鹿にするような態度を取るようなら、その人はその仕事に向いていないのでは?と、最近の私は思います。

そう、おばちゃんなので。

こんなこともありました。

夫が先日ネットで買った熱帯魚の水槽用の「水流ポンプ」が動かないからきっと電圧を間違えて買っちゃったと言った時、「じゃあ私返品しとくから先方に連絡しといて。」と言ったら、「えーめんどくさいからもおええわ。1回開けてるから、あかんやろうし。」と言います。

値段を見ると12000円!12000円もするものをめんどくさいから返品しないなんて、ありえへんし!と思った私は

「なんで?!何がめんどくさいの?!聞いてみなわからんやん!梱包とか私がやるやん!」と言ってもなかなか動かない(心が)夫。

(もおええわ、私が連絡しときます!)と、伝票に書いてある番号に電話をして事情を説明したら、

「電圧は間違えてないから、不良品の可能性がありますので着払いで返品してください。」とあっさり快諾していただけました。

何これ。こんな簡単なやり取りが何故できない!?間違ったと思われるのが恥ずかしかったのかな。謎。

と、また最後は夫の愚痴になってしまい恐縮ですが、私はおばちゃんになり、(もう完全に認めている)「ささやかな、謎の、プライド」は捨てました。(いつの間にかなくなっていきました。)

もちろん完全にとは言えず時々は「自分をよく見せたい」欲が顔を出します。

完全に無くすとそれはそれで問題が生じて来そうなので、そのせめぎ合いがとても難しいですが、それすら楽しめる域に早く達したいと思います。

「おばちゃんになると楽」は真実です。